子ども達へのNHAの眼差し
子ども達への、NHAの眼差し
子ども達を、NHAで見ると、何が見えてくるでしょうか?
こんなことがありました。
娘と、娘の友達とその弟と一緒に、野原で遊んだ。
娘と男の子(友達の弟)は、タンポポをつんだ。
帰り道、男の子が、タンポポをうっかり溝に落としてしまう。
すると友だちが娘に「分けてあげなよ。」と言う。
何も言わないけれど、分けてあげたくなさそうな雰囲気の娘。
また友だちが、「落ち込んでるよ。少しあげなよ。」と言う。
それでも迷う娘。もう一度催促されて、渋々分けてあげた。
娘を、ちょっとけちんぼ、と見ることもできる。
友だちを、何度も催促するしつこい子、と見ることもできる。
この出来事を、よくある話、と片づけることもできる。
この出来事の中で、私は、
「分けてあげなよ。何本もあるんだから。可哀そうじゃない?」
と言いたくなる気持ちを抑えていました。
この言葉は、私の中にある、
「小さい子に親切にできるやさしい子になってほしい。」
という期待から来る言葉だから。娘を、私の願う方向へ行かせようとコントロールする言葉だから。
私の中には、「小さい子には優しくできる方がいい。」「自分の物を人に分けてあげられる方が親切。」という思い込みがあったのです。
でも、今、例え娘が分けてあげられなかったとしても、娘が優しくない子、けちな子、小さい子に親切にできない子になるわけじゃないのですよね。娘の一生が、この瞬間に決まるわけじゃないのです。もしかしたら、この先どこかで、自ら小さい子に親切にできる瞬間があるかもしれない。その瞬間を、私は逃さず承認すればいいのです。
私が、口をはさみたくなる衝動を抑えられたからこそ、3人のそれぞれの良さが見えました。
友だちは、タンポポを落としてしまった弟のことを思って、自分はタンポポを持っていないから、持っている娘に声をかけたのでしょう。弟の気もちを心配する、優しさをもっています。
男の子は、自分から「分けて」とねだることはしませんでした。自分のものではないと、ちゃんとわきまえて、我慢できました。自制心があります。
娘は、ずっと迷っていたました。それでも渋々分けてあげました。その時、文句も恨み言も言いませんでした。「どうぞ。」って渡して、その後、きれいさっぱり、明るい顔して笑っていました。迷いの中、自分の行動を選択する、決断できる力、気持ちの切り替えができる力があります。
そして私には・・・、
自分の衝動を抑え、子ども達を一人の人間として尊重する力があります!
NHAでは、問題行動の中にも、その子の素晴らしさを見ます。
NHAを使った子育て、こんな感じです。