価値観を手放すこと~ある小学校の先生のお話

価値観を手放すこと~ある小学校の先生のお話

自分の中にある価値観や常識を手放すって、
そう簡単ではないですよね。
そもそも、自分の中にどんな価値観があるのか、
そんなこと考えたこともないって、こと、あると思います。

~して当たり前。
~しなくてはならない。
~すべき。
などの思考、心当たりありませんか。

私について言えば、
こういう自分をしばるものの何と多かったことか。
ある時、どんなしばりがあるか分析してみた結果、
出るわ出るわ、想像以上にたくさん!
挙げるだけで疲れました。
ああ、私、生きにくかったよなあ・・・。
トホホ・・・。

で、それらに、一つずつさよならした結果、随分楽になりました。

って、一行で書けるほど簡単ではなかったですけど。

さよならするコツは、
どんな価値観(自分の中のしばり)があるか、気づくこと、
だと思います。

私の場合、例えば、人の話を聞いていて、ある部分で、

自分の中に厚い鉄の板が現れた感覚があった時、
圧迫される感覚があった時、

その人の話のその部分に抵抗感があるんだなあ、と気づきます。
つまり、
私の中の価値観や常識とのずれを感じているんですよね。
ああ、こういうしばりを持っているわけね、と気づきます。

こんな風に、日々の中で、「あっ!」と気づくことがあるので、
さよならしたけど、まだまだあります(笑)。

NHAでは、
これらの価値観や常識、一般的には、社会的には~、のメガネを外し、
NHAメガネ(何のフィルターもないメガネ)をかけて、
自分や相手のことを見るのです。

フィルターがないから、ありのままの姿が見えますね。
そこに、ありのままの素晴らしさが見えてくるわけです。

でも、”いつもかけてるメガネ(価値観や常識など)”って、使い慣れてるし、
体の一部みたいなもの。
外すには、勇気や痛み、怒りなどを伴います。
どうして私が手放さなくちゃならないのーっ!?って。

私は、自分の中の価値観や常識などを手放すことは、
自分や相手を理解しようと、一歩、歩み寄ることだと考えています。
「そうだね。そうだね。」と同じ気持ちになる必要はありません。
その人がどんな状況で、どんな思いでそうしているのか、知ろうとする。
そんな感覚です。

常に、”いつものメガネ”を外せているわけではないのです。
「あっ、今、自分の尺度で見ている。」
と気づけた瞬間、
ふ~と息を吐いて、肩の力を抜いて、
そして外してみるのです。

以前聞いた、ある小学校の先生の話をご紹介します。

この先生は、初めて先生になった人。
連休明けに、登校を渋るクラスの子どもを、家まで迎えに行きました。

その子の家の近くで、ランドセルを背負い、歩いてくるその子に会いました。

その時、この先生のかけた言葉。

「連休だったから、学校へ行くの、いやになるよね。」
「でも、学校へ行く支度をして、ランドセルをしょって、家から出てきたんだね。えらいね。」

だったそうです。

この話を聞いたとき、すごく感動しました。

この先生は、まず一言目で傾聴し、子どもの言葉にならない感情を
代弁しています。
そして、二言目で、この子の行動の中の素晴らしさを言い表しています。
ここがまさに、承認。
NHAです。

傾聴はNHAではありませんが、人と人とをつなぐ大切なスキルだと思います。
傾聴も、NHAも、”いつものメガネ”をかけたままではできませんよね。

この先生が、もし、
・学校は、毎日来て当たり前。
・休み明けでも、ちゃんと学校へ来なければならない。
・自分で支度をして、家を出るのは、できて当然。
などの価値観のレンズが入ったメガネでこの子を見ていたら、
このような言葉がけはできたでしょうか?

近いことは言えたかもしれません。
でも、心からは言えなかったでしょう。

この先生が、
”いつものメガネ”を外した。
あるいは、
”いつものメガネ”をもともと持っていなかった。
からこそ、見えた素晴らしさだと思います。

この後、ポツリ、ポツリ、と話をしながら、二人で学校へ行き、
一日、無事に過ごせたのだそうです。

”いつものメガネ”
ちょっと外してみると、意外なものが見えるかもしれませんよ。
お試しあれ。

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